なんで医師会とかがんばれなかったんだろう??
ゴリゴリ献金とかしてきただろうに…
医療がコンビニと同様のサービスに成り下がるの日はそう遠くない。
診療報酬の「1点」は、10円。
1958年(昭和33年)の新医療費体系でこう決まって、今日まで一度も動いていない。
68年間、同じ数字だ。
この間に、物価は何倍になった。
賃金も、材料費も、電気代も上がった。
それでも、1点は10円のままだ。
上がらないだけなら、まだ我慢できる。
問題は、ここからだ。
2025年4月23日、財務省の財政制度等審議会に「持続可能な社会保障制度の構築(財政各論Ⅱ)」という資料が出された。
その42ページに、こう書いてある。
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診療所過剰地域
(単価引下げ:1点=10円-β円)
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そして、こう続く。
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「当面の措置として、診療所過剰地域における1点当たり単価(10円)の引下げを先行させ、それによる公費の節減効果を活用して医師不足地域における対策を別途強化することも考えられる。」
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読み違えないでほしい。
これは「物価に合わせて上げる」という話ではない。
「単価そのものを下げる」という話だ。
68年間上げてこなかった数字を、今度は下げる。
物価の上昇と、完全に逆行する。
参考までに、同じ資料にはこうも書かれている。
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「介護報酬では地域によって1点単価で最大14%の差異が設けられている」
「かつて診療報酬も地域別に単価が設定されていた」
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つまり財務省は、介護報酬で実施済みの地域別単価を、診療報酬にも持ち込もうとしている。
しかも、単価の引き下げだけでは終わらない。
同じ資料の次のページには、「特定過剰サービス」という仕組みが書かれている。
ある地域の特定の診療科の医療サービスが「過剰」と判断された場合、それを減算の対象にする。
つまり、単価を下げた上に、サービスそのものも削る。
ここで、おかしなことが起きる。
単価を下げられた医療機関が生き残る方法は、一つしかない。
量を増やすことだ。
1件あたりの単価が下がるなら、件数を増やして売上を維持する。
これが、薄利多売の構造だ。
ところが、量を増やすと、今度は「需要の掘り起こし」「過剰サービス」と見なされる。
そして、減算される。
単価を下げる。→ 量を増やすしかない。→ 量を増やすと減算される。
これは、出口のない設計だ。
財務省の資料は、こう書いている。
「客観的な基準に照らして、ある地域の特定の診療科に係る医療サービスが過剰であると判断される場合には、需要の掘り起こしが発生しているとみなし」
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「みなし」、と書いてある。
実際に掘り起こしが起きているかどうかではない。
過剰と判断されたら、起きていると「みなす」と。
この構造で、最後に残るのは誰か。
死ぬほど薄利多売を回せる医療機関だけだ。
3分で患者を回し、検査を積み上げ、単価の低い診療を大量に処理する。
それができる規模と体力のあるところだけが、単価引き下げ後も数字を維持できる。
丁寧に時間をかけて診る医療機関ほど、先に消える。
医療は、薄利多売の商売ではない。
1人の患者に時間をかけることが、そのまま医療の質になる場面が、今もたくさんある。
だが、制度がそう仕向けているのなら、現場はそれに従うしかない。
財務省の資料には、こう書いてある。
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「診療所過剰地域から診療所不足地域への医療資源のシフトを促していくべき」
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資源を動かしたいのなら、動かす先の条件を整えるのが先だ。
単価を下げて、動かなかった側をさらに苦しくして、それで「シフト」と呼ぶのか。
そして、この設計が最終的に何を目指しているのか。
正直に言語化してしまえば、こうだ。
安い。速い。大量に処理する。
待たせない。回転率を上げる。単価は低く、数で稼ぐ。
それは、コンビニの店舗経営の物差しだ。
医療は、名実ともにコンビニに成り下がる。
その日は、遠くない。
だが、コンビニでは命は買えない。
1点10円という数字は、もう呪いだ。
68年間動かなかった数字が、今度は下がる。