小学校給食の貧相さを嘆く声をよく目にします。
育ち盛りの子どもたちに提供されるあの内容は、親としても悲しくなるものがあります。
しかし、ここで立ち止まって考えたいのは、給食無償化という流れの帰結です。無償化を歓迎した時点で、給食は保護者が対価を払って受け取るサービスではなく、税金で賄われる公共給付になりました。
そうなると「もっと質の良い給食を」という要望は、ただちに「ではその分を増税します」という話に接続されます。受益者が直接費用を負担しないため、改善コストは納税者全体に転嫁されるほかないのです。
自分で払っていれば「もう少し良いものを」と事業者に求めるのは当然の権利です。けれども無償化してしまえば、その声は政治過程を経て税負担に化けていく。
「無償」という言葉の響きの裏で、私たちは価格シグナルと選択の自由を手放しているのだと思います。
これこそが無償化の恐ろしい点なのです。